牛馬守護神(畜魂社)
「白鬚神社 縁起」より。
明治以前、「日向の駒」「藩営牧場」「古代駅路(駅馬・伝馬)」等の語句のある如く、古代、中世、近世になっても馬は貴重動物として主要な所で飼われてきた。特に明治になっては、日清、日露と二回にわたる陸戦の経験から、政府は兵糧弾薬の輸送、騎兵の奇襲作戦に不可欠の軍馬育成に意を注ぎ、軍馬補充部を開設して、軍馬を育成管理して、調教し遠くの大陸の戦線や国内の各部隊に送り出した。
この川南町でも、軍馬の繁殖・育成には大いに貢献したのである。
昭和七年頃になると、県が経済性の高い牛の増産を計画し、役肉兼用牛として黒毛改良和種を奨励品種に指定して増産に着手したため、川南町も同年代頃より牛の生産が馬を追越し、繁殖、育成が盛んになった。
昭和二十年になると、国内、国外移住、派遣の日本人が各自の郷里に復帰して、生活のための生産活動が始まり、その大役を強いられたのが牛・馬であった。
川南町の広い台地に、川南合衆国と云われるほどの残留者、入植者が増大したため開墾と併合して、牛・馬の個人保有、繁殖が飛躍的に増産され、各戸に牛の一頭は必須、牛一頭+馬一頭、否、馬一頭、牛二頭以上と飼育されるようになり牛・馬の不在の農家は皆無であった。田起こし、代掻き、牛車・馬車の牽引、陸稲畑・甘諸畑の鋤起こし、畦作り、収穫作業等で牛・馬でなくては何ともならなかった。
それ故に、牛・馬の愛護の情熱が高まり、「牛馬の安全祈願・安産祈念」にと『牛・馬守護之神』と称えられる白鬚神社の参詣が多くなった。
また、昭和二十九年には川南町を始め近隣町内外の牛・馬飼育者の発案により、「安全・繁盛」を祈念し銅像二基が社前に奉献される。
祭神・建速須佐之男大神(牛頭天王)を祀り、現在も牛・馬・豚・鶏、伴侶動物等の守護神として県内外より参拝されている。
昭和40年、畜魂社の再建。
境内全域の清祓、動物安全・繁盛として御神塩一屯散布する神事が斎行された。
現在では、白鬚神社・例大祭11月19日に「塩まき」神事が斎行され御神塩を授与しています。