「神道」「神」「神社」について

神道とは、

 神道は日本固有の信仰です。それは太古から日本文化の一部として伝えられてきた生き方であり、考え方です。 また、一年の幸福を祈願する初詣に始まる年中行事の元にもなっています。
 神道の信仰を持つということは、祖先を家族の守り神として祀(まつ)るということを意味します。また、自然の中に存在する数多くの神を敬うことでもあります。山の神、海の神をはじめ、私たちの周りすべてのものや人に神が宿ります。神を信仰する場所はどこでも構いませんが、多くの人々は神社を訪れて祈ります。そこでは心身を清めるため、入口で手を洗い、口を漱ぎます。神道は清らかさと正直さを大切にします。しかし、神道には教義や経典もなければ、開祖もいません。その始まりは古代の日本人と、彼らが自然界の中に見出した力との関係の中に見ることができます。今日まで続いているその関係とは、自然の力に対する畏敬の念と、自然がもたらす恵みへの感謝の気持ちです。自然の恵みを享受すると共に、その脅威を受け入れることで、私たちはこの世界との調和を維持することができるのです。
 神道は、日本文化の不可欠な要素として歴史を形作ってきました。また神道は、日本人の思想に強い影響を与えることを通じて未来を作り続けていきます。しかし、日本の日々の生活において神道は現在に重点を置きます。神を敬い、恵みを受けるのは、他でもない今だからです。

神とは、

 古くから日本人は、神聖な力や自然界の生命力を神と表現してきました。
 雨の神や風の神、山の神、海の神、雷の神など、自然に由来する神々は私たちの生活に深い関わりをもち、私たちの活動にも多くの影響を及ぼしています。また国家や社会に対して多大な貢献を果たした人物も、神として祀られ崇められます。

自然界の厳しさは、人間の都合を考慮してはくれません。太陽は、生きとし生けるものに命を与えてくれますが、時として大地を干上がらせ、旱魃(かんばつ)や飢饉の原因となります。海洋は、生命が最初に誕生したところですが、突如として水嵩(かさ)を増し、陸地に大津波をもたらして、多くの破壊と深い悲しみの原因ともなります。春の訪れを告げる花の香の芳しい風は荒れ狂う嵐となることもありますし、穀物を食い荒らしたり病気を運んできたりするネズミや、作物を食い荒らすイナゴのように、ごく小さな動物でさえ損害をもたらします。日本人はこれらを神々として、時に穏やかでありながら時には荒れ狂う自然の側面を静めようとします。すなわち「祭り」を通じて、神を鎮め、さらなる神恩を願うのです。 神道には唯一の全知全能たる創造主は存在しません。それぞれの神々は秩序立った世界で与えられた役目を果たし、何か問題が発生した時には、その問題解決のために集まって議論します。これは有史以前の神代の物語を綴った8世紀の歴史書にも記されており、和を重んじ、各々の力を合わせて事にあたる日本社会の基盤となっているのです。

神社とは、

 日本では、海や山、森、あるいは自然の中で目印になるようなものには、神が宿っていると考えられています。古代においては、それらは特別な建物が無くとも聖域とみなされ、至る所に神々は存在するものと信じられていました。
 また斎庭(ゆにわ)に設けた神籬(ひもろぎ)に、祭儀を執り行うため神を招くという慣習も生まれました。後に、森の中に神の住まいが設けられ、儀式を行う建物が恒常的に建て替えられてゆくようになりました。これが「神社」として知られる社殿の始まりです。日本では今日8万以上もの神社があり、神代(かみよ)の物語に登場する神々や偉大な功績によって知られる歴史上の人物など、さまざまな神が祀られています。

神社では年間を通じ、国や共同体の平和や安全、繁栄を祈る儀式が行われています。また地元の氏子の幸福や氏神のために、神社で諸祈願が奉納されることもあります。それらの儀式は、一般的には神職によって執り行われますが、個人でも、しばしば年中の祭りに参加したり、人生の節目にあわせて願い事や神への感謝の祈りを捧げたりするため神社を訪れます。
 神社は神聖な場であり、常に清浄に保たれています。多くは木々に囲まれ、自然界の神気が満ち溢れています。そこは礼拝の場ではありますが、同時に憩いの場でもあるのです。神社を訪れることで、私たちは心身の若返りを感じます。神社は我々にとって、自らを見つめ直し、神への感謝を表す特別な空間なのです。

(神社本庁出版 SOUL of JAPANより抜粋)

斎庭(ゆにわ)とは、神をまつるためにはらい清めた所。祭の庭。斎場。

神籬(ひもろぎ)とは、祭祀(さいし)を執り行う際に神様が降臨されるための依り代となるもの。

※白鬚神社の境内にて、冊子を無料配布いたしております。